Cover Photos Archive
This page archives former cover photos that are not shown elsewhere in Kyoto City Trams in Memory.


新幹線は日常的移動手段だったので殆ど写真がないが,70年万博以前は「ひかり」「こだま」共12両編成だった。豊橋は地表駅なので,12番線に入線する0系「こだま」と二俣線 ・旧客との並びが見られた。(1966.1)


オリンピックを前に急拵えの感が否めない北京・前門大街再開発。その目玉が「路面電車復活」だが,「前門一号」「前門二号」の2両が,独立した複線を往復するだけの構造で,架線はもちろん分岐器もない。トロリーバスも王府井ではポールを下げて走行するので,都市美観の観点からは架線レスになるのだろう。正陽門・箭楼前の蓄電場所(?)にて,飾り物のビューゲルが虚しい「前門一号」。(2008.10)


京都市電全廃から30年。最後の6系統1920号が烏丸車庫に入庫した日本時間1978年10月1日(東部夏時間9月30日)の,SEPTA Red Arrow Division(現Suburban Transit Division) Drexelbrook電停。電車は旧SEPTA標準塗装の101系統Media行両運車24号。1949年St. Louis製で,81年の川崎製100型入線までは当線の最新形式だったが,車体は基本的に戦前のデザイン。


室蘭本線227レ(室蘭11:04発→岩見沢14:33着)の先頭に立つC57135[岩]。苫小牧では給水 のため10分間停車した。同機はこの写真の3ヶ月後に,保存・復活運転を除いて国鉄最後 の定期旅客列車を牽引した蒸気機関車となり,その縁で交通博物館(→鉄道博物館)に静態保存されることになった。(1975.9)


原爆投下から39年目の夏,原爆ドーム(県物産陳列館)を右手に,センターポール化された相生橋を渡る2系統1912号(旧京都市1928号)。それから24年を経てもさほど変わらぬ光景 が展開されるが,1900型が2系統を走ることも「己斐」の方向幕も見ることはない。(1984.8)


名古屋市1400型の大量導入により,初期のボギー車淘汰が図られた頃の赤岩口車庫。一時は渥美線にも採用されたクリーム赤帯塗装は,当初柳生橋線ワンマン色だった。名古屋市1200型は4両導入されて700型(68年の称号改正で3700型)となったが,このうち3702・3704の2両がワンマン化され,最後まで残った500型単車を淘汰した。単車時代には中柴の待避線を使った2両交互運行で,予備車を含めて3両必要だったが,3700型導入で待避線の使用は中止され,常時1両は車庫で休眠状態になった。電車は3102・3704他。(1977.8)


西浜町〜賑橋間で行き交う4系統205号と303号。25年を経て,冷房化と方向幕の大型化, 系統板・ワンマン帯の廃止等の変化はあるが,中島川沿いのこの区間は,軌道が川寄りに敷設され,自動車は対岸の広い道路を走行する等,かつて北野線が走った東堀川通を彷彿とさせる。しかし東堀川通の場合,柳並木は電車の走る左岸側には無かったし,むろんゲージも異なる。(1983.7)


1968年9月30日以降,32系統だけの折返し点となった早稲田電停。15・39系統廃止でバス 庫となった早稲田車庫の敷地には,都営アパートの鉄骨が組み上がりつつある。当時の専用軌道は都市計画道路・放射7号線に取り込まれ,電停付近の景観は一変した。(1970.5)


PCC車ばかりだったWoodland車庫の北西(Greenway Ave.)側ヤードでは,この年の2月に搬 入されたばかりの川崎製LRV 9000型が春の陽を浴びて調整中。1948年St.Louis製PCC 2131号を挟んだ2両には,まだ車両番号も記入されていない。9000型112両は,27年を経た今もSubway-Surface 5箇系統の主力として活躍中だが,運行拠点はElmwood車庫に移り,Woodlandには僅かの線路と整備機能だけが残る。(1981.3)


玉藻城沿いのカーブを高松築港駅に進入する長尾線2044レ1255F。かつての雑多な旧型車 に代わり,京急と名市交からの中古車への統一が進む。四国水電の時代に,現・志度線の延長として出晴(瓦町)〜(旧)高松駅間の市内線が開業するが,戦災で休止に追い込まれ,代替として1948年に現在線が開通。1500Vの琴平線と,600Vの志度線が昇圧まで単線並列運転を行ったことでも知られるが,瓦町駅改築に伴う志度線の分断で長尾線が乗り入れることになった。(讃)高松駅移転・再開発に伴い瓦町以北を高架化し,現高松駅前へ乗り入れる計画があり,そのための用地も確保されているが,琴電の経営危機もあって計画は凍結(事実上撤回)されたため,当分はこの光景が見られる。(2008.3)