Cover Photos Archive
This page archives former cover photos that are not particularly related to Kyoto City Trams.

かつて福北連絡を目指して熊西(貞元)からレールを伸ばした筑豊電鉄は,遠賀川を渡った所で力尽き,高架橋は突然途切れる。北九州線廃止直後は日中10分毎の運転だったが,半数が中間折返しになって20分毎,さらに24分毎から30分毎と本数は減少の一途を辿る。今となっては,3001号が待機する筑豊直方駅の2面2線は過大に見えるが,JR駅への延伸構想は残っている。(2004.12)


Minneapolis/St.Paul都市圏のMetro TransitはBlue/GreenのLRT2路線を運営している。その分岐点はUS Bank Stadium駅の南側にあるが,複線の2路線が合流して3複線になるという,些か妙な配線になっている。Bombardier製の101号+117号重連による,InboundのBlue Lineが中線を行く。2020年のBLM運動の発端となったGeorge Floyd事件の現場(38 St.& Chicago Ave.)へは,都心からバス5系統が直通するが,Blue Lineの38 St.駅からcrosstownの23系統を利用してもアクセスできる。Mouse-onは38 St.駅の23系統だが,車内からの撮影で反射が酷い。(2016.11)


キハ66系は,後の117系電車に通じる2ドア転換クロスシートのレイアウトを採用した近郊型気動車で,かつては篠栗線の快速運用で博多駅でもよく見られた。今世紀に入り活躍の場を大村線に移したが,2021年6月いっぱいで運用を終えた。シーサイドライナー塗装のキハ67-5+66-5が,今は使用停止となった佐世保駅5番線に停車中。(2017.10)


叡電デト1001号は通常修学院車庫の奥に留置されている。同形の嵐電モト1001号と共に,京都市電600形の車体更新で1974年に誕生した。叡電では唯一の,京福電鉄時代から残り,かつ旧塗色を纏う車両になっている。2021年4月24日に撮影会が開催された由だが,敷地外からいつも見られる車両の車庫内走行だけに3千円は高過ぎると思う。(2020.6)


MTA (Maryland Transit Administration)のCentre St.駅(現Mt.Vernon駅)に停車中の2車体連接車5013号ほか。写真のHunt Valley系統は重連で運転されるが,高床車のためSan Francisco同様,停留場側に車椅子用の短いホームが設置されている。N.Howard St.ではクルマは北行一方通行で,軌道は西側に寄せられているが,南行軌道上をMTAの事業用車が逆走中。堺市東西鉄軌道の大小路区間も似たイメージで計画されたが,沿道の理解が得られず頓挫した。(2015.6)


駅前旧停留場で待機中のモ3302号。北鉄金沢市内線最後の新造車2302号で,1967年の廃線に伴って2代目モ302号として豊鉄に移籍。当初は金沢塗色のまま,間接制御・弾性車輪で異彩を放った。写真は改番後のワンマン標準色時代で,翌年には全面広告塗装に移行し2000年まで活躍した。JR総研のバッテリートラム試験車を経て,現在は那珂川清流鉄道保存会で余生を送る。(1989.10)


鹿児島駅前電停に停車する(2)7502-(2)2122-(1)9509号。1系統は2系統で,2系統は1系統で折返すのが原則なので,系統番号は余り重要ではない。写真の上屋付き3線ターミナルは,1985年の上町・伊敷線廃止後に整備されたが,20年2月から改築のため使用停止となり,約1年間の予定で1停留場手前の桜島桟橋通を起終点としている。完成予想図によれば,従来の切妻屋根が寄棟に変更されることを除いて,規模等の変化は無いように見える。(2017.10)


Ohlone/Chynoweth駅を出てAlmadenへ向かうVTA 997号。Purple Lineとも呼ばれた同区間は,Santa TeresaへのBlue Lineと同時に,1991年に開業した。延長2kmの単線を近車製連接車1ユニットがシャトル運行するだけの閑散路線だったが,2019年12月27日限で廃止された。Mouse-onは同駅付近のGoogle衛星画像だが,Pearl Ave.沿いに西へ分岐する軌道が見える。(2011.3)