Dalian Trolleys, 2010 (1)



(Photographed on Mar. 27-28, 2010.)

かつて南満州鉄道の起点駅であった大連駅。1937年の竣工で,満鉄社員であった太田宗一郎の設計になると言われるが,その5年前に竣工した上野駅本屋(浅草口)とファサードの類似性が指摘される。しかし出発階と到着階を分離するなど,上野にはない新機軸が打出されており,建築物としての規模も大きい。 大連駅北口には快軌3号線の大連駅がある。地鉄・快軌合わせて4路線が具体化しているが,そのうち3号線のみが営業中。開業は2003年だが,大連駅に到達したのは2004年。計画路線図によれば,3号線は大連駅を越えて,南側の勝利広場(旧・駅前広場)で地鉄2号線と接続する計画らしい。
大連では無軌電車が100番台,有軌電車が200番台の系統を名乗るが,無軌電車は大連駅前を発着する101路のみ。洋の東西を問わず広告塗装は好きになれない。 かつて大連駅前を境に西が201路,東が203路と系統分割されていたが,2007年の軌道近代化に伴い興工街以北の区間が廃止され,大連駅を越えて201路として直通運転されるようになった。当時は日本時代からと思われる左側通行用の亘り線が残されていたが,現在は右側通行用に取換えられている。電車は7-3514号。
大連駅前で離合する,華楽広場行7-2268号と興工街行7-3508号の201路区間車。前者は戦前日車製で,窓配置1D4D4D1のタイプ。かつては3000型を名乗っていたが,系統幕のLED化と共に備品番号のような車号に変更された。 201路の運行を管理する民主広場(旧敷島広場)の車庫。門標には「大連現代軌道交通有限公司・電車修配廠」とある。201路は純然たる市内電車であり,大部分専用軌道化され,連接車のみで運行される202路とは趣きが異なる。
検修庫の前に留置された緑色の7-2265号は砂撒き装置を持つのか,「防滑車」の表示がある。赤色の7-2293号は妻面にベルが外付けされたタイプ。 検修庫の南側には3車体連接車の7-3517号(左)と7-3510号(右)が留置されている。(許可を得て撮影)
かつて201路(と恐らくは202路も)担当していた解放広場(旧大正広場)の車庫は,201路は203路と統合され,202路の車庫は北河口に新設されたため撤去された。 撮影時には何故か南端の留置線が1本残され,日車製車両が2両ほど留置されていたが,車内はガラクタ置き場状態。
(4/26/2014)