Streetcar Returns to Washington, DC

DC Streetcar finally inaugurated on Feb. 27, 2016 !

(Photographed in Nov. 2014.)
Washington DCの路面電車は1962年に全廃されたが,都心部では中央に電車線用の導管を置く3線軌条が特徴的だった。導管の中には(+)(-)の電車線があり,これに車両から垂下したplowを接触させる方式だった。このような複雑な機構を採用した理由は,戦前の日本におけるダブルトロリー同様,帰電流による水道管の腐食である。

架空線による「新世代のLRT」として最初に計画された市南東部のAnacostia線は,2004年に着手されたものの様々な問題で大幅に遅れていて,次に計画された北東部のH St.-Benning Rd.線の一部区間(下図参照)の方が先(2009年末)に敷設完了するに至った。こちらの開業時期も延期が繰返されたが,2014年9月29日から"pre-revenue service"と称するダイヤ通りの習熟運転が開始された。

前任のGray市長(D)によって2015年1月19日開業がアナウンスされたが,1月2日のBowser市長(D)就任により,またストップが掛かった。運賃についても,バスと同額($1.75;SmarTrip®カードの場合メトロとの乗継割引適用)の説が濃厚だが未発表。
(2014年末に開業したAtlanta, GAの場合,開業から3ヶ月間は無料運行だったが,これに倣って開業当初は無料運行となることがアナウンスされている。)

 Official information (Route, schedule, and fares)

路線の全体計画は右図のようであり,黒が優先計画の22マイル,赤が拡張計画の15マイルである。今回の開通区間は東西に横断するH-Benning線の真ん中(地下鉄Red Lineとの東側交点付近)から東側終端までの約半分(Anacostia川右岸)までの2.4マイル区間)に相当する。車庫は26th St.NEの旧高校敷地に建設されている。
写真は2007年にAnacostia線用にInekonで製造された3車体低床車101号で,101-103の3組が在籍する。別会社とは言え,かつて共産圏に大量のTatra carsを供給したチェコ製の車両が,米国の首都を走るのは感慨深い。運営はRATPに委託されているためか,電車信号機はヨーロッパ型の(-|)現示。 H St.の軌道は道路両側へ寄せられていて,停留場は突出型になっている。日本ではバスベイが歩道に食込むのが一般的であるが,駐車車両があると停留場へ近づけず,狭まった歩道幅員がバス待ち客で更に狭くなる弊害があるため,路上駐車の存在を前提にすれば突出型が合理的を持つ。車両はInekon製の102号。
3rd St.から西の単線区間を2014年,United Streetcar製の13-001号が上ってくる。この会社はPortland, ORでInekonのライセンス生産を行っているが,前面デザインを除いて2007年製車両とほぼ同形である。こちらも3組が在籍し,計6編成の体制で開業する。 現在の路線はHopscotch跨線橋の上で唐突に終わる。停留場名は"Union Station"だが,ここからWashington, DCの中央駅であるUnion駅への連絡は良いとは言い難い。写真は路線終端で折返し待ちの13-002号だが,開業を前に200型202号に改番された。
Washington Union駅は1908年に竣工した歴史的建造物であり,1988年の修復工事以降,駅自体が観光名所になっている。上野駅同様,地平に北東回廊を含む北方向への頭端ホーム,下層に1st St.トンネルに通じる南北直通ホームという2層構造を持つ。 LRTの終点からUnion駅へは,地平ホーム西側の立体駐車場を経由するルートを辿ることになる。かつては画面右端のかまぼこ型コンコースまで線路が伸びていたが,梅田・難波・天神などと同様,現在は手前の四角い建物まで後退している。
(1/11/2015)