鹿児島市電のページ

Kagoshima City Trams in 1980's

九州新幹線(新八代-鹿児島中央間)が3月13日に開業するのを記念して,鹿児島市電の'80年代前半までの運転状況を概観します。

初冬の朝,朝日通に鹿児島駅前行の連接車704号がやって来た。大阪市の高性能車3000型を再利用したのは鹿児島市のみであった。この当時,車体を新製した702AB・704ABのみが残り,朝ラッシュに活躍していた。上町線廃止後,暫く市役所前-私学校跡間の線路が残り,引上げ線として利用されていたが,それ以前には朝日通に画面右へ延びる引上げ線があった。これも元を質せば昔の上町線の一部で,かつて中央公園から右折して私学校跡へ向かっていた路線の痕跡である。(Kagoshima's articulate #704 at Asahidori, Dec. 1984.)

鹿児島市電は1912(大正元)年12月1日に,鹿児島電気軌道が武之橋-谷山間を開業したのに始まる。当初は地方鉄道として開業したため全線が専用軌道であったが,現在でも谷山線の涙橋以南にその原形を偲ぶことができる。鹿児島電気軌道は,1914(大正3)年以降市内線を軌道法により開業したが,1928(昭和3)年に鹿児島市に譲渡されたのを契機に,1929(昭和4)年1月17日付で全線が軌道に転換された。市営化後も順次路線が延長され,1961(昭和36)年の上町線・柳町-清水町間の延長を以って営業キロ19.4kmとなって最盛期を迎えた。

下は1973年時点の運転系統図である。1960年代後半にはワンマン化の前段階として,京都市を含む各都市がこぞって料金箱制度に移行したが,鹿児島市では同時に乗換券が廃止されたため,それを補うために極めて複雑な運行系統となった。なお系統図には,終日一定時隔で運転される系統のみが示されているが,欠番の系統も殆どが臨時系統としてラッシュ時を中心に少数運転された。

しかし多系統少便型の運行は如何にも効率が悪いため,1975(昭和50)年3月から乗換券を復活し,少系統多便型に移行したため利便性が向上した。下がその系統図であるが,上図の9系統から僅か3系統に整理されている。旧11系統が1系統,旧13系統が3系統になっているが,2系統は旧循環3-4系統の一部に相当する。

その後,国道3号線上を走る伊敷線と終点付近が国道10号線に掛かる上町線が,交通混雑と表定速度の低下による不採算を理由に1985年(昭和60)年9月30日限で廃止され,現在の営業キロ13.1kmとなった。運行系統は上図の1系統と,2系統の起点を鹿児島駅前に振り替えた系統(旧14系統)の2ヶ系統が運行されている。この結果,市役所前と加治屋町の分岐が無くなり,現在の分岐交差点は高見馬場と郡元の2ヶ所になっている。

車両面では,JR九州鹿児島車両所製の2100シリーズや,旧大阪市電2600型の800型更新車である9500型,さらにアルナ工機製の超低床車1000型などへの更新が進むが,路線面では併用区間のセンターポール化や両端の鹿児島駅前・谷山の停留場改良などはあっても,路線の抜本的改良や延長はない。2004年1月11日からは新幹線開業に伴う駅前広場改良に関連して,西鹿児島(鹿児島中央)駅前付近の路線が移設され,停留場が駅前広場内に引き込まれた。(谷山終点から指宿枕崎線・谷山駅前までの延伸可能性について,市が調査に入る模様である。)

消えた終点と交差点
国道10号・清水町終点の2系統510号。登場時は前面2枚窓だった。国道3号・伊敷町終点の3系統817号。800型は最大勢力を誇った。
市役所前を左折し清水町に向かう2系統609号。加治屋町を左折し鹿児島駅へ向かう3系統509号。

1984年当時の鹿児島駅前。現在は3線収容の大屋根付停留場。センターポール化竣工当時の天文館。電車は2122号(Mar.1992)

鹿児島市の進路選択信号機は京都市と同様の中継信号機タイプ。京都市の場合は,百万遍以外には中央のランプが無く,有っても非点灯であったのに対し,鹿児島では進路が設定されると,中央の1灯を残して消灯する。分岐にはトロリーコンタクタを使用。(郡元, 現在この付近は併用軌道=「慕情への招待・路面電車」毎日新聞社(1978)掲載の写真を部分使用)

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