これは老舗の交通広告代理店である弘亜社が,停留場名表示板を作成・提供する代わりにその広告枠を独占的に扱うシステムを提案したことによると思われる。同社のホームページによれば,1951(昭和26)年の東京を手始めに,このシステムは全国18都市に採用されたとある。
表示板は殆どの停留場では,電柱の3面を覆うもので各面3部構成。正面の停留場名には隣接停留場表示があるが,両側面は当該停留場名のみが表示される。各面中段が広告枠で,最下段は運輸事業者の掲示用に割当てられていた。
京都市の場合は,正面が「終発時刻案内」,概ね向かって左側面が路線図で,右側面はかつては運賃表であったが,1964年1月の運賃改定以降は「電車にお乗りのときは自動車にご注意下さい」「私たち京都市民は旅行者をあたたかく迎えましょう」(市民憲章)などの啓発・標語が掲出されていた。一部停留所では両側面が省略され,正面のみの表示であった。
下に全盛期の路線図を示すが,ホーロー製で「全国一手取扱・弘亜社」の文字が入っているので,これらもすべて弘亜社が作成代行していたものと思われる。このタイプの路線図は,1970年4月の伏見線廃止時に新調されたのが最後となり,1972年1月の千本・大宮・四条線廃止時に撤去された。
千本今出川東詰の表示板側面と517号(11)。最下段は路線図になっている。 | 路線図の拡大; 無軌条線・伏見線とも記載されている。 |
18都市の内訳は写真や実見により,札幌市・仙台市・福島市(福島交通)・横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市・和歌山市(南海)・岡山市(岡山電軌)・呉市・広島市(広電)・下関市(山陽電軌)・北九州市(西鉄)・福岡市(西鉄)・長崎市(長崎電軌)・熊本市・鹿児島市であったことが判明している。
契約期間が何年であったのか定かではないが,現存路線でも弘亜社の停留場名表示板を見ることは殆どなくなった。しかし1980年代までは各地で見ることができた。このページではその一部を紹介する。
Tokyo: 都電・荒川車庫前,27系統同士の交換。赤羽行の7048号と三ノ輪橋行の7507号(1970.5) |
|
Hiroshima: 広電・己斐(西広島),電車は1909号(2)と3001号(宮島直通)。 | |
Kitakyushu: 着発線が3線あった時代の西鉄・戸畑終点。電車は中央町回り門司行となる624号(1973.10) | |
Nagasaki: 浦上車庫前の長崎電軌本社と入庫線の501号。広告枠には両方向とも何も入っていない(1983.7) | Kagoshima: 鹿児島駅前,電柱等に固定されず殆ど放置状態になっている(1984.12) |
同じホームページには,「1955年(昭和30年)4月東京都電車系統番号板広告新規一手取扱,その後全国路面電車系統板広告一手取扱」とあるので,東京都では正方形を45度回転したひし形の系統板からいわゆる壺型の系統板へ,京都市では急行板サイズの円板から広告入りのサボ挿しに変化したのも,すべてこの会社が仕組んだらしいことが分かる。
ともあれ戦後日本の路面電車風景の形成に,1広告代理店が深く関って来たことは興味深い。