This page archives former cover photos that are not particularly related to Kyoto City Trams.

| ゆとりーとラインは日本初のガイドウェイバス路線として2001年に開業したが,他路線の追随が無く,案内輪の装置メーカーが撤退。このため既存の2-step車が更新できず,8000人超と言われる輸送密度に対応できない。元々将来的なAGTへの転換を考慮していたが,自動運転バス等への転換を検討中との報がある。狭隘な高架走行路の活用には,気仙沼線BRTで試行中の磁気マーカー等による左右方向の拘束が不可欠となる。写真は大曾根の転回場を折返した小幡緑地行。(2010.12) |

| JRバス嬉野線は,武雄(温泉)駅~彼杵駅間の短絡線として1942年に開業したが,9月30日限で西半分に当たる嬉野温泉~彼杵駅間が廃止になる。全国的に旧国鉄バスの路線は撤退が相次ぎ,九州島内では日田彦山線BRTを除いて3路線が営業中だが,宮崎・熊本県に次いで長崎県からも撤退になる。写真は彼杵駅で待機するJR九州バス(嬉野温泉ラッピング)。(2025.7) |

| 延期を繰り返した挙句,2016年2月に開業したDC Streetcarだが,H Streetの1路線3.9kmを運行するだけで,複数存在した延伸計画は放棄されている。25年5月にBowser市長が「次世代車両」への2年以内の置換えを表明したが,実際には電気バスが想定されている。54年ぶりに首都に復活した路面軌道だったが,今だに無料運行を脱却できず,車両故障も加わり定着は難しいようだ。(2014.11) |

| 広電は8月3日から広島駅ミナモア2階に発着するが,「路面電車初の2階乗入れ」とか言われると「玉電ビルは?」と思ってしまう。現在の4面3線の配置になったのは1987年で,それ以前は2面2線だったが,終端部には2線の間に短い降車ホームがあった。当時も5系統は左手前から発車したが,1系統等はシーサスの先が乗り場で,2両の1900型(共に1系統)が見える。79年の稼働から45年,2024年度から廃車が始まったが,写真の当時,1900型は広電の主力だったことが判る。(1982.11) |

| SEPTAが縮小計画を発表した。25年8月と26年1月の2段階で計画されるが,これには市電10-15系統と地下鉄Ridge Spurの廃止が含まれる。計画が実施されると,最盛期78を数えた電車系統は4系統にまで減るが,地下区間を持つ10系統までが対象となったことに驚く。SEPTAは80年以降に,6-23-50-53-56系統をバス化して来た経緯があり,他都市でLRT導入が進むのとは真逆の対応を取る。さらに残存路線の営業も,全線21時迄に短縮する等,公共交通の使命放棄に舵を切ったように見えるが,5月19~21日の公聴会が多少なりとも押戻しに成功することに期待する。写真は36th & LudlowのPortalを出た10系統9091号で,ここから36th St.を北上してLancaster Ave.に入る。(1993.4) |

| TPG(Genève)が2011年から導入しているStadler製Tango(1800形)。6車体5台車だが,7車体だった先代のBombardier製City Runner(800形)より2m長い。中央の2車体が連節台車を有し,それと両端の3組が動力台車。TPGの新型車は上白色・裾紺色だったが,塗分けは異なるものの白とオレンジの旧塗色に回帰しつつある。18系統1837号が,都心のCoutance電停を出てCERNに向かう。(2025.3) |

| 熊本市電5000形は,熊本初の連接車として,1976-78年に西鉄・福岡市内線から転入した。ラッシュ時の輸送力増強には有効だったが,老朽化と自前の連接車の増備により余剰化。2009年以降は5014号のみが残存していたが,25年2月で運転を終了した。西鉄の連接車は,筑豊電鉄や広電でも活躍したが,ヤンゴンへ送られた分を含めて,(一部休車はあるが)全車退役したことになる。写真は熊本城前(→花畑町)を行く5014号,系統板は「臨」だが方向幕は「貸切」。(2004.5) |

| 熊本市電9700形のうち,1999年製の2次車2本(9702-03)が廃車された。ADtranz(現Bombardier)製の機器を新潟鉄工所製の車体に装荷した日本初の超低床車だったが,故障部品が交換できず,2018年から休車状態だった。代替として2400形が導入されたが,1951年製の1063号の残存を思えば,何とかならなかったかという気もする。写真は移設工事中の田崎橋単線区間に進入する9702号。(2010.7) |