Cover Photos Archive
This page archives former cover photos that are not particularly related to Kyoto City Trams.


SEPTAが縮小計画を発表した。25年8月と26年1月の2段階で計画されるが,これには市電10-15系統と地下鉄Ridge Spurの廃止が含まれる。計画が実施されると,最盛期78を数えた電車系統は4系統にまで減るが,地下区間を持つ10系統までが対象となったことに驚く。SEPTAは80年以降に,6-23-50-53-56系統をバス化して来た経緯があり,他都市でLRT導入が進むのとは真逆の対応を取る。さらに残存路線の営業も,全線21時迄に短縮する等,公共交通の使命放棄に舵を切ったように見えるが,5月19~21日の公聴会が多少なりとも押戻しに成功することに期待する。写真は36th & LudlowのPortalを出た10系統9091号で,ここから36th St.を北上してLancaster Ave.に入る。(1993.4)


TPG(Genève)が2011年から導入しているStadler製Tango(1800形)。6車体5台車だが,7車体だった先代のBombardier製City Runner(800形)より2m長い。中央の2車体が連節台車を有し,それと両端の3組が動力台車。TPGの新型車は上白色・裾紺色だったが,塗分けは異なるものの白とオレンジの旧塗色に回帰しつつある。18系統1837号が,都心のCoutance電停を出てCERNに向かう。(2025.3)


熊本市電5000形は,熊本初の連接車として,1976-78年に西鉄・福岡市内線から転入した。ラッシュ時の輸送力増強には有効だったが,老朽化と自前の連接車の増備により余剰化。2009年以降は5014号のみが残存していたが,25年2月で運転を終了した。西鉄の連接車は,筑豊電鉄や広電でも活躍したが,ヤンゴンへ送られた分を含めて,(一部休車はあるが)全車退役したことになる。写真は熊本城前(→花畑町)を行く5014号,系統板は「臨」だが方向幕は「貸切」。(2004.5)


熊本市電9700形のうち,1999年製の2次車2本(9702-03)が廃車された。ADtranz(現Bombardier)製の機器を新潟鉄工所製の車体に装荷した日本初の超低床車だったが,故障部品が交換できず,2018年から休車状態だった。代替として2400形が導入されたが,1951年製の1063号の残存を思えば,何とかならなかったかという気もする。写真は移設工事中の田崎橋単線区間に進入する9702号。(2010.7)


これまで何度か延命して来た弘南鉄道大鰐線だが,遂に2027年3月を以て廃止前提の運休に入ると表明された。しかしバス転換も,運転手確保の面で容易ではない。1970年までは弘前電気鉄道という別会社であり,旧市街中心部のターミナル立地が,中三閉店に代表される街の衰退と共に乗客減に直結した。写真は元東急6000系が現役だった頃の津軽大沢駅と,検修庫内の7000系。(2002.2)


台北捷運・文湖線は,1996年に中山国中以南を木柵線の名称で開業した。台北捷運では唯一,AGT (VAL)システムを採用している。2009年に中山国中~南港展覧館の内湖線が開業し,両線は文湖線として一体的に運行されている。写真は終点・南港展覧館駅ホームだが,ホームドアのため車両は見えないので,(Mouse-on)では南港展覧館1区前の高架線を走るInnovia車4連を示す。(2017.3)
⇒近鉄と台北捷運との友好協定について。

山陽電軌800型は1959年の製造だが,71年2月の路線全廃に伴い土佐電鉄に異動し,同年8月からワンマンカーとして運用を開始した。写真は運用開始から間もない804号を,はりまや橋~堀詰間の横断歩道橋から捉えている。(1972.8)

レトロでんしゃ館の2017号。2000形は1956~58年に29両製造された名古屋市電の集大成とも呼ぶべき準PCC車で,直角カルダン・間接自動制御等の機構が災いして,全廃まで生残れなかった。行灯式系統板や総電動機出力120kWは,後年の都電7500形に相通じる。15系統は系統図には登場しないが,浄心~名駅間の出入庫系統が掲出した。ジブリパークのスロープカーは,この系統をモデルにしている。(2010.12)